ノンテクニカルサマリー

在宅勤務が労働者の生産性とメンタルヘルスに与える影響

執筆者 北川 梨津 (早稲田大学)/黒田 祥子 (ファカルティフェロー)/奥平 寛子 (同志社大学)/大湾 秀雄 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 働き方改革と健康経営に関する研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「働き方改革と健康経営に関する研究」プロジェクト

2020年は、世界の労働市場にとって大きな変化を余儀なくされた年となった。その最たる変化の1つは、在宅勤務である。日本でも4月の第1回目の緊急事態宣言発出後に、この新しい働き方が急速に広がった。この機に初めて在宅勤務を経験した人も多かったと考えられるが、その後に実施された複数のアンケート調査では、「今後も在宅勤務を継続したい」と希望する人が多かったことも示されており、多くの人がそのメリットを体感したといえる。コロナ収束後も在宅勤務の継続を希望する労働者の割合が高いことは他国の調査でも報告されており、今後、世界的に在宅勤務という新しい働き方が定着していく可能性が予想される。

しかし、日本における在宅勤務の実施率は、2020年6月の緊急事態宣言解除後に徐々に揺り戻しが起こり、2021年1月の第2回目の緊急事態宣言下では第1回に比べ低い状態にとどまった。新型コロナウィルスをきっかけに急速に普及するかにみえた在宅勤務は、未だ日本の労働市場に定着したとはいえない状況である。こうした背景には、在宅勤務を行うと生産性が低下するのではないかという企業側の懸念が関係していると考えられる。たとえ在宅勤務を望む労働者が多いとしても、この新しい働き方が生産性を下げるとすれば企業は積極的な導入を望まないだろう。

生産性を下げることなく在宅勤務を実施するためには、どのような条件や政策が必要になるだろうか。在宅勤務により実際にどの程度生産性が影響を受けるのか、そして生産性に影響を与える主たる要因は何かを特定化することは、今後の日本の労働市場がどう変化を遂げていくべきかを考えるうえで極めて重要といえる。そこで、本稿は、大手製造業4社のご協力を得て、2020年4月の緊急事態宣言以降から6月にかけて各社の全社員または在宅勤務可能な職種を対象として実施した在宅勤務調査のデータを用い、在宅勤務が生産性に及ぼす影響について分析を行った。分析は、アンケートにご協力いただいた22,815人(4社計)の従業員から得られた回答に基づいている。

分析からは、以下のことが明らかになった。まず、企業による差はあるものの、4月の緊急事態宣言下において在宅勤務をしたグループのほうが在宅勤務をしなかったグループに比べて、生産性が低下したことが認められた。なお、生産性はWHOが開発したHPQと呼ばれる主観的生産性尺度を参考に質問票への回答に基づき計測した。

しかし、さらに分析を深めていくと以下のことも明らかになった。まず、何が生産性の低下要因となっているのかを特定化するため、調査期間中に在宅勤務を行った回答者を対象に、「仕事の生産性が下がる要因」について選択してもらった情報(複数回答)を用いて分析した。分析結果を抜粋した表1をみると、全4社共通の主要因は、「整っていない自宅の仕事環境」および「(社内外の)コミュニケーションの不足」であったことがみてとれる。前者はハード面、後者はソフト面のインフラの未整備と捉えることができる。つまり、在宅勤務自体が生産性を低下させるのではなく、これらの環境を整えていくことで生産性は回復しうることが分析から示唆された。また、職種別に分けて生産性を下げる要因を分析したところ、自宅の環境およびコミュニケーションの問題はどの職種にも共通する要因だったものの、職種別に異なる要因があることも分かった。具体的には、営業職を中心とする職種においては、「必要な情報へのアクセスができない」ことが、さらに研究・開発職については「社内でのみ使用可能な専用機械や情報機器の使用ができない」ことが生産性低下に大きく寄与していることも分かった。これらの結果からは、在宅勤務の生産性を低下させうる従業員共通の要因を特定化するのはもちろんのこと、職種によって生産性を阻害する要因が異なりうることも想定し、優先順位をつけながら環境整備を急ぐことにより、生産性の回復が見込めることが示唆される。

また、今回の分析では、在宅勤務実施者の方が、メンタルヘルスが良好であることも明らかになった。メンタルヘルスを改善する共通要因としては、「集中力の高まり」や「疲労や体調の改善」、「通勤や準備時間の削減」などが挙げられる。分析からは、集中力の高まりと疲労の軽減による心身の健康改善が多くの社員で観察されており、在宅勤務の推進が健康増進につながる可能性を示唆している。

本稿での結果からは、在宅勤務による生産性低下は企業が未整備のインフラに投資すること等により回復しうるだけでなく、従業員のメンタルヘルスやウェルビイイングの向上を通じて生産性も向上しうることを示唆している。

表1:在宅勤務の生産性を低下させうる要因
表1:在宅勤務の生産性を低下させうる要因
備考)Table 5からの抜粋。被説明変数は緊急事態宣言前後の生産性の変化である。説明変数には、表に記載されている以外に、3月から調査時点にかけての在宅勤務日数の変化、調査時点における勤務日数、性別、年齢、部署、職階などが含まれる。表中の**および***は、それぞれ5、1%水準で統計的に有意であることを示している。